美しき島 コルシカ

コルシカはナポレオンの出生地



コルシカはナポレオンの出生地
フランス第一帝政の皇帝として、革命後のフランスを統治した西洋史を代表するヒーローは、コルシカ島アジャクシオ出身です。

コルシカといえばナポレオン、ナポレオンといえばコルシカ、というように、ナポレオンはコルシカの代名詞ともいえる存在です。

「花の都パリ」の基礎を作り上げたナポレオンは、軍人であるとともに優れた政治家でもありました。

小さな島で生まれ世界で活躍したナポレオンの偉業はコルシカ民族に「優れた種としての自信」をもたらしたのではないでしょうか?

実際に、コルシカは現在においても全世界へビジネス、政治の要人を送り出しており、島外で活躍するコルシカ人は意外にもたくさんいます。

若き英雄

1769年、ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)はコルシカ島アジャクシオで生まれました。9歳でフランス軍隊でのキャリアをスタートし、フランス革命初期はジャコバン派に所属しコルシカの独立運動に参加します。コルシカの指導者パオリと対立しフランスへ追放されますが、その後フランス軍にて弱冠16歳にして砲兵士官に任命されるなどその頭角を現し始めました。


皇帝への道

コルシカはナポレオンの出生地
その後、ナポレオンはフランス軍で数々の功績を残し、その卓越した指揮能力が評価されます。フランス革命後の混乱を鎮圧し、1804年、35歳でフランス皇帝に即位。ヨーロッパの最強国だったローマ帝国を解体しその支配下に置き、イギリスを除くほぼヨーロッパ全土を制覇しました。ナポレオンが軍人かつ独裁者であったことは事実ですが、ヨーロッパの長い封建社会の歴史を崩壊し、市民に自由と平等をもたらした初めてのリーダーといえます。


ナポレオン法典

周辺諸国を抑圧し内政の改革に取り掛かったナポレオンは、この時期に現在のフランスの基礎を作り上げました。パリを世界一の都市にすると宣言し、フランス銀行の設立、交通網の整備など、行政、司法、教育、産業など多岐にわたるフランスの近代化を成し遂げます。「万人の法の前の平等」「国家の世俗性」「信教の自由」「経済活動の自由」などを唱えた近代的な民法典「ナポレオン法典」はフランス及びルイジアナ州(米)の現行法であり、オランダ・ポルトガルや日本の民法にも影響を与えました。


失脚からの復活

その栄光を極めたナポレオンも、1812年のロシア遠征で苦戦、ライプツィヒの戦いで敗北、1814年退位宣言に署名しエルバ島(コルシカ島から東へ48kmの小さな島)へ流されます。フランスは王政に戻りますが市民の支持は得られず、ナポレオンは1815年にエルバ島から脱出し、国民の絶大的な支持を受け劇的な復位を果たしました。


ナポレオンの最後

その後、ナポレオンはイギリス・プロイセン連合軍に講和を拒否され、ナポレオン率いるフランス軍と連合軍の戦いが始まります。その支持力ですぐに軍を集め好戦しましたが、最終的に連合軍に破れ、はるか遠い大西洋の小島、イギリス領セントヘレナ島に流されます。その6年後、52歳でその激動の人生の幕を閉じます。


ナポレオン小話

コルシカはナポレオンの出生地
フランス本土での皇帝時代も故郷の味が忘れられなかったナポレオンは、コルシカのチーズやフィガデッリ(豚のレバーのソーセージ)などをコルシカから取り寄せて食したといいます。

さらに、フランス本土のワインの味に満足しなかったナポレオンは、コルシカから葡萄を取り寄せてワインまで醸造させていたという話もあります。

ナポレオンは「例え目隠しをされていたとしても、コルシカのマキの香りは嗅ぎ分けられる」と言う名言も残しました。

現代においても、世界で活躍するコルシカ人たちは永遠に最愛の故郷に思いを馳せています。
まさに、コルシカを旅立ったコルシカ人の運命ともいえる、ナポレオンの有名なエピソードです。